カストロの名言にみるキューバ革命

20世紀最後の革命家カストロ

1959年にキューバ革命を成し遂げ、世界に多大な影響を与えたカストロ氏が先日亡くなった。

「私を断罪するが良い。歴史は私に無罪宣告をするだろう。」

1953年10月16日、キューバ陸軍の兵営襲撃に失敗して捉えられたカストロは、裁判の最終弁論でこの言葉を口にした。

カストロ氏亡き今、歴史は彼にどのような宣告をするのだろうか。

 

「私は革命を82名の男たちと始めた。もしも、もう一度やらねければならないならば、10人か15人の者たちと絶対的な信念を持ってやるだろう。どんなに無力でも信念と計画を持っていれば必ず成し遂げられる。」

当時のキューバは、バティスタ軍事政権に牛耳られていた。

たばこ、サトウキビといったキューバにおける農産物は米国系企業の支配下に置かれていた。米国系企業の搾取によりキューバの農民たちは貧困にあえいでいた。

カストロはそんなキューバを救うために革命を起こすことを決心する。
カストロはアメリカに亡命し、革命のための資金・武器集めに奔走した。アメリカではキューバ系移民たちから資金の提供をうけた。
そして、25人乗りのヨット「グランマ号」に82人の同士たちと乗り込み祖国へと向かった。

「革命はバラの道ではない。革命とは、未来と過去の間の死闘である。」

カストロの帰国を知ったバティスタは、革命勢力撲滅へと動いた。爆撃機を用いて彼らを攻撃した。何人もの同志がなくなった。一時は16人まで減少したほどである。

 

しかしカストロらの努力によって徐々に搾取されていた農民たちからの支持が増え始め、次第に革命勢力がバティスタ軍を圧倒し始める。
そして戦い開始から約2年後の1959年1月2日キューバ革命は達成された。

「私はマルクスレーニン主義者であり、それは死ぬまで変わらないだろう」

カストロは、キューバ革命後急速に共産主義路線を進める。ソ連と強力関係を築き、米国系企業を強引に国有化していった。アメリカに喧嘩を売ったのだ。

 

その後、アメリカとの国交断絶、キューバ危機といった歴史的事件を経て資本主義対共産主義の冷戦は終局へと向かう。
カストロは共産主義が敗北してもなお、それにこだわり続けた。彼は言葉通り死ぬまでマルクスレーニン主義を貫き通した。
社会主義は失敗したというが、アフリカやアジア、ラテンアメリカのどこで資本主義が成功したというのだ?
最後の最後まで自分の信念にこだわり続けたカストロ氏にご冥福をお祈りする。

 

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